被爆地ヒロシマが被曝を拒否する伊方原発運転差止広島裁判
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「ふるさと広島を守りたい」ヒロシマの被爆者と広島市民が、伊方原発からの放射能被曝を拒否し、広島地方裁判所に提訴しました

原爆投下71年目によせて―伊方原発広島裁判原告団声明


2016年8月6日


 “Seventy-one years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed.”-「71年前、輝き、雲一つないある朝、死が空から落ちて来、そして世界は一変しました」
先頃現職のアメリカ大統領としてはじめて広島を訪問し、慰霊碑を背景に行ったオバマ大統領の短いスピーチの冒頭部分です。

 “原爆が空から落ちてきた”-この言い方は何もオバマ氏がはじめてではありません。原爆の使用を決断した者の責任を曖昧にするため、自然現象のように表現するこのような言い方は原爆投下直後から行われています。こういう言い方に対しては、もう何十年も前に原爆婆さんが見事な反論をしています。幾ばくかの怒りを込めて。

 「ピカは空から落ちてこん。人が落とさにゃ落ちてこん」

 71年前、広島に落とされた原爆は、「米国戦略爆撃調査団報告―広島と長崎への原爆の効果」が指摘するように、無差別で意図的な、一般市民殺傷を目的とした戦略爆撃の一環として行われました。その点では同じく1945年3月10日に行われた東京大空襲と本質的にはなんら変わりません。

 ただし東京大空襲と本質的に異なる点が一つだけありました。いうまでもなくそれが人類最初の核攻撃だったという点です。そして1945年8月6日は「核兵器の初の実戦使用の日」として記憶されています。

オバマ氏はその短いスピーチの締めくくりで、
 “That is the future we can choose ― a future in which Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare, but as the start of our own moral awakening.”-「これは私たちの選択できる未来なのです。その未来においては、広島と長崎は原子戦争の夜明けとしてではなく、私たち自らのモラルの覚醒の始まりとして知られるでしょう」と述べ、懸命に8月6日が核戦争時代の始まりだったことを打ち消そうとしました。

 オバマ氏がなんといおうが、1945年8月6日と9日は、「人類のモラルが目覚めた日」などという曖昧模糊たる日ではなく、明確に核戦争時代がその火ぶたを切った日として記憶されねばなりません。その記憶を鮮明にすればこそ、いずれは訪れる「核戦争時代に終止符を打つ日」を1日も早く招来させねばならないとの思いを強めるのだと思います。

 1945年8月6日、この日は、同時に実は、一般市民に対する無差別で意図的な人工電離放射線*攻撃が開始された日としても記憶されねばなりません。この日一般市民は全く無差別な人工電離放射線攻撃に曝され、そのため内外部被曝損傷を負い、一生涯その生命と健康が危険に脅かされることになりました。それまでこの種の意図的で無差別な攻撃を人類は経験したことはありませんでした。

 特に、福島第一原発事故を経験し、今も内外部被曝の危険にさらされ、かつ一時全面停止していた原発が再稼働されようとしている日本の市民全体から見れば、8月6日を、「核戦争時代の幕開け」の日としてよりも、「意図的で無差別な人工電離放射線攻撃開始」の日として記憶する方が、現在的な意味は大きいのかも知れません。

 こう言うと直ちに次のような反論が聞こえてきそうです。「広島原爆と福島原発事故を同一視するのはおかしい。広島原爆では核爆発による高線量・高エネルギーのガンマ線や中性子線が人工電離放射線被曝被害の源泉だったが、福島原発事故では、事故鎮圧にあたったごく一部の作業員を除けば、このような被害はなかった」と。

 しかし、広島原爆では高線量・高エネルギーのガンマ線や中性子線などの人工電離放射線以外に、核爆発で発生した様々な核種の放射性物質、いわゆる死の灰が生成されたほか、核爆発しなかったウランが細かい粒子となって広島の空から降り注ぎ、これが低線量内部被曝被害の源泉となって、長い間市民を苦しめました。そして今も苦しめています。広島原爆の被害の源泉のうち「低線量内部被曝被害」は、まさしく福島原発事故で一般市民が無差別に攻撃を受けている「低線量内部被曝被害」と全く同質のものなのです。その意味でヒロシマ・ナガサキは連綿とフクシマに連なっています。

 あるいは、広島原爆は無差別・意図的だったが、福島原発事故は偶発的な事故であり、意図的ではなかった、という反論も聞こえてきそうです。しかし果たしてそうでしょうか?少なくとも東京電力は15m以上の津波がやってくることを予測していました。そして15m以上の津波が襲えば次に何が起こるかを十分予測できました。そして彼らの予測通りの事態が発生しました。これは意図的な攻撃とまでは言えないまでも“未必の故意”による攻撃というべきでしょう。

 現在進められている再稼働にいたっては、はっきり“意図的・無差別”な人工電離放射線攻撃、と形容することができるでしょう。少なくとも原子力規制委員会によれば、現在の科学技術では絶対安全な原発の運転は望み得ず、過酷事故が発生することを覚悟で再稼働されます。過酷事故発生の際は“破局的状況を回避”*するため、意図的かつ無差別な放射能放出が義務づけられています。いわゆる“ベント”です。そのため一定地域の住民の避難が法令で定められているほどです。

 また原発は通常運転でも大量の放射能を環境に放出し、原発推進グループの言葉を借りれば、私たちは「計画被曝」させられています。一般市民に対する意図的・無差別な人工電離放射線攻撃を伴わないで原発は存在できません。

 1945年8月6日、広島に原爆を投下した政治家・軍人・科学者を中心とするグループは、核の軍事利用の次の段階は核の産業利用、いわゆる平和利用だとはっきり見定めていました。そして戦後の青写真を描いていました。戦争が終わると事態は彼らが描いた青写真通りに政策立案がなされ、立法化され、実施に移されていきました。次々に原発などの核施設が地球上に建設され、今日の私たちは、1945年8月6日広島に原爆を投下したグループの思い描いていたほぼその通りの世界に生きています。それは、人工電離放射線被曝被害と引き替えに、ほんの一握りのグループが、生命や健康損傷など支払う犠牲に比べれば取るに足りない僅かな利益を受け取る世界です。

 8月6日は、一般市民に対する無差別で意図的な人工電離放射線攻撃が開始された日、として記憶されねばなりません。そして、一刻も早く、生命と健康を犠牲とするこの愚かしい世界に終止符を打たねばなりません。

 私たち伊方原発広島裁判原告団は、この愚かしい世界を一刻も早く葬り去るため、みなさんと共にこの裁判を闘います。

伊方原発広島裁判原告団



*「人工電離放射線」:放射線には電離放射線と非電離放射線があります。電離放射線には放射能がありますが、非電離放射線には放射能がありません。私たちが問題にするのは電離放射線です。また電離放射線には、自然放射線と、原子炉や核施設などで人為的に作り出される人工放射線とがあります。普通に生活していればほとんど問題にならない自然放射線に対して、私たちが問題にするのは、人工的に作り出された放射能をもつ放射線、すなわち人工電離放射線です。

*「破局的状況」:「原発安全神話時代」には想定されていなかった状況です。福島原発事故では、「破局的状況」が想定されました。つまり1号炉から3号炉内の放射性物質がほとんど環境中に拡散する状況です。東京都民も含めて日本の人口の半分近くが避難を強いられる状況、東日本壊滅の状況です。現在原子力規制委員会が採用する「5層の深層防護」の考えでは、重大事故が発生した場合、原子炉格納容器の爆発など「破局的状況」を回避するため、深層防護の第5層で、意図的・無差別な放射能放出が原子力事業者に義務づけられています。避難計画策定の義務、避難の義務なども、意図的・無差別な放射能の放出に伴う措置です。

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