被爆地ヒロシマが被曝を拒否する伊方原発運転差止広島裁判
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「ふるさと広島を守りたい」ヒロシマの被爆者と広島市民が、伊方原発からの放射能被曝を拒否し、広島地方裁判所に提訴しました


伊方原発広島裁判メールマガジン第7号 2016年5月25日



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伊方原発・広島裁判メールマガジン 第7号
2016年5月8・9日 愛媛県の伊方と八幡浜に行ってきました。
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2016年5月25日(水)発行
編集長 :大歳  努
副編集長:重広 麻緒
編集員 :綱崎 健太 

2016年5月8日・9日に原告団長の堀江さん、応援団代表の原田さん、原告団事務局の網野さんと、私、重広で愛媛へ行ってまいりました。
長年、伊方原発の反対運動を続けてこられた斉間淳子さんへの表敬訪問と、伊方町長、八幡浜市長に要望書を渡すのが目的です。
もうすでに伊方原発広島裁判のwebサイトに写真レポートが掲載されていますが、http://saiban.hiroshima-net.org/report/?p=287
このメールマガジンでは私、重広の視点でその様子をお伝えします。
また、この愛媛訪問に広テレの撮影クルーが同行しテレビ派宣言にて放映される番組が作成されました。5月19日放映予定でしたが、放映延期になったと連絡がありました。

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今日の見出し
~1日目~
■斉間さんとの対面
■伊方原発ゲート前にて
■半島の先、岬まで行ってみました。
~2日目~
■伊方町へ
■八幡浜市へ

◆総括
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~1日目~
■斉間さんとの対面
私達は宿泊するホテルに着き一息したところで予約していた広間に移動し、斉間さん達を出迎えました。
堀江さんはお近付きのしるしに、と手作りの木槌を斉間さんにプレゼントしました。
それを皮切りに、その場にいた方々のお人柄もありすぐに場が和みました。
堀江さんは「原発が来た町」に書かれていたことについて質問をし、斉間さんはたくさん語ってくださいました。

会談メンバー
*斉間淳子さん(伊方町)
伊方原発誘致以来、地元で一貫して反対運動を展開してきた故斉間満(さいま みつる)さんの夫人で、淳子さん自身も斉間満さんと共に活動を展開してきた、という人です。
*八木健彦さん(八幡浜市)
伊方原発再稼働の是非を問う住民投票実現のために中心となって運動を展開された方です。
*檜田直子さん(大洲市)
3.11で原発の危険に気づき、それ以来、斉間さんと共に運動をしている方です。
*阿部純子さん(松山市)
長年反原発運動を続けて来た翻訳家の方です。伊方原発広島裁判応援団の一員でもあります



堀江「熊本の地震もありましたし、なるべく早くお会いしてご挨拶したいと思っておりました。私達の運動はまだ始まったばかりです。『原発が来た町』(※)に書かれていたことをぜひ詳しく聞かせてください。」

(※)『原発が来た町』
故斉間満の著作。伊方町へ原発誘致が始まった当初からの反対運動の歴史、そこで起きた圧制や弾圧。伊方原発の危険性について等。地元であるからこそわかる、原発を取り巻く事象が綴られています。↓からPDFで読むことができます。
http://saikadososhinet.sakura.ne.jp/ii/docs/SaimaIkataBook.pdf#search='%E3%80%8E%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%81%8C%E6%9D%A5%E3%81%9F%E7%94%BA%E3%80%8F'


斉間「長くなります、50年になりますね。原発自体も恐ろしいものですが、それによって不当な扱いを受ける人が居ることが恐ろしいです。当時、知らない人から電話がかかってくるんです。『お前の子供はもう帰ってるか?』という脅しの電話が。子供がまだ小さかったので心配でずっと送り迎えをしてました。電話は夜中にもかかってきました。自分の仕事が無くなるから反対運動なんかするな、ということを言ってきました。」


原田「斉間満さんが南海日日新聞(※)を創刊されたいきさつを聞かせていただけませんか?」

(※)南海日日新聞
創刊1975年11月1日日刊新愛媛の記者であった斉間満が独立し、創刊。
2006年 斉間満さんが死去し、近藤誠さんが事業を引き継ぐ。
2008年5月 休刊 休刊時の公称部数は二千部
2015年10月 近藤誠さん死去

斉間「他の新聞社にいたんですがね、伊方原発の記事を書いても書いても載せてもらえませんでした。部署替えをされて記事を書く事も出来なくなって、八幡浜で起きている事を八幡浜の人たちが知らなきゃいけない、自分が知らせなきゃいけない、と言って始めたんです。自分が新聞を出す以外にない、と。その新聞社を辞める事を、最初は私に隠してました。怒られると思って。当日に『辞表出してきたよ』と言われて。」

原田「その時、満さんはまだ30歳くらいだったのではないですか?」

斉間「そうですね、30過ぎたくらいだったと思います。」

堀江「一から新聞を作るのも大変でしょうし、購読者を獲得するのも大変だったでしょう?」

斉間「資金繰りが大変でしたね。手伝ってくれる方もいましたが、編集経験者が当人一人きりでしたから、その方達に最初から教えるのに苦労していたようです。」

原田「満さんは南海日日新聞をそれから30年くらい続けていらっしゃったんですよね?」

斉間「はい、そうですね。32年ですね。」

原田「購読者数はどれくらいだったんですか?」

斉間「原発に批判的な記事を載せる新聞は他になかったんです。やっぱりね、伊方原発のそばに住んで、伊方原発反対を声に出さなくても、原発がどうなっているか知りたくて、読みたいと思う人はいたんですよ。でも、まず広めていかなければならないから、八幡浜市だけでなく伊方町の部落まで赴いて営業していましたね。」

原田「淳子さんもそういったことをされていたんですか?」

斉間「いえいえ、私は何も。」

堀江「いやいや、淳子さんが満さんを支えて、お子さんを育ててくれていたから満さんはこれだけのことが出来たんですよ。淳子さんあっての南海日日新聞ですね。」

斉間「いえいえ、私がいなくてもやっていましたよ。多い時で2,000部を超えました。遠くから原発記事が載っているということを聞きつけてとってくれたりしました。関東などにも送っていました。現地で原発批判をする新聞を絶やしてはいけないと、全国の方が応援してくれましたよ。ありがたいことです。」

原田「“女の会”ができたのはどんないきさつなんですか?」

斉間「1988年に出力調整反対運動の時できました。反対の声をあげる為に、とにかくビラ撒きをしようと、団体がないと出来ませんから。」

堀江「出力調整はチェルノブイリでもしてましたね?」

八木「そうです、そうです。」

堀江「チェルノブイリ原発事故は出力調整中に起きたんですよね?」

斉間「そうです。伊方でも出力調整をやると、教えてくださった方がいたんです。地元住民である私たちは知りませんでした。」

原田「その時期は原発反対運動が盛り上がっていましたよね。それが潮が引くように冷めていってしまったのは何故だったんでしょう?」

八木「その時期の選挙で原発反対を掲げる候補がいたんですが惨敗して、それからだったかもしれませんね。」

原田「斉間さんはその後もずっと地道に続けて来られたのですね。」

斉間「八幡浜から反対の声が消えたらその時が終わりだから、声だけでも出しとけって、満さんから言われてましたねぇ。」

〈お話はまだまだ続くのですが要点を絞って記述しました〉

※網野さんから斉間さんに伝えたかったこと
会談がひと段落し、その場にいる皆さんが部屋を出る準備を始めた頃、網野さんは斉間さんの前に座り、お話したいことがあります、お声をかけました。

網野「長年、地元で原発反対運動をしてくださっていたことに感謝します。本当にありがとうございます。原発の危険を知らなかったとは言え、広島原爆で被曝の恐ろしさを身をもって知っていたのに、本来なら知っている人が被爆の危険を訴えなければならなかったのに、こうやってご挨拶に来るのが遅くなって申し訳ないと思っています。」

斉間「いいえ、そんなことありません。広島は本当に酷い経験をされた。悪いことなんてありません。こうやって会いに来てくれて私は嬉しいです。」

〈私達は広島に生まれたのに被曝のことをなんにも知りませんでした。後ろめたい気持ちがありましたが、斉間さんは暖かく迎えてくださいました。〉

■伊方原発ゲート前にて
翌日に予定していた伊方原発訪問を明日の天候が悪くなりそうだということを知り、会談が終わった後に繰り上げたことを伝えたところ、斉間さんが案内してくださるという運びになりました。
実は広島一万人委員会として重広は以前も伊方原発を訪れておりました。
伊方原発へ向かう山道は整備され、明るく広くなり車が走りやすくなっていました。
会談メンバー全員、車で伊方原発ゲート前に到着しました。
ガードレールの前に立ち、上から海のほうに向かって見下ろすように伊方原発を眺めました。以前より工事が進み少し開けてきたように見えます。
斉間さんは進んで前に立ち、1988年に米軍の大型ヘリコプターが落ちた場所を指して説明してくださいました。原発から約800メートルの場所でした。(『原発が来た町』に詳しく記載されています)
伊方原発のすぐ向こうは瀬戸内海です。原発は伊方しか見たことがないのですが、福島第一原発の航空写真は見たことがあるので、伊方原発の敷地がいかに小さいかはわかります。
3基の原発同士が近くてひしめき合うに建っています。1基で重大な事故が起き、多量の放射能が放出されれば人が近づけなくなり、その原発に留まらず他の2基も陥落してしまうだろうと容易に想像がつきます。
詳細は確認できませんでしたが、反対運動の応援に広島の漁船が伊方原発の近くまで大勢で来てくれたことがあると斉間さんが語ってくれました。そんなことがあったとは知らなかったので嬉しかったです。
堀江さんは広島テレビのリクエストに応え、伊方原発をバックにカメラに向かって語りました。撮影が思ったより長引いてしまい、斉間さん・八木さん・檜田さんとここでお別れしました。阿部さんは引き続きご一緒してくださいました。

■半島の先、岬まで行ってみました。
斉間さん達に「ぜひ見ておいて欲しい」と勧められ佐田岬半島の岬まで行ってみることにしました。木々が茂る山道をひたすら走り灯台を目指しました。車の海側の窓は一面海、下を覗き込むようにしてみると木々と民家がチラホラと見えます。進むにつれ半島の幅が細くなっていき、道路が右に左に曲がる度に海が見える方も右に左にと変わりました。途中に開けたところに港がありました。伊方原発よりも半島の先に住んでいる方は、万が一伊方原発で事故が起き避難しなければならなくなった時、この港から避難するのでしょう。
港よりも先にも民家はありました。避難の為に港へ向かうには私たちが走った道路を使うほかありません。
港に着き車を降りると、強風とその風の音、そして岬の前に立って見た景色に足がすくみそうでした。海は白波を立て岩に打ち付けてきます。瀬戸内海の穏やかな海を見て育った私にはそこから見た豊予海峡の波は異常なほど激しい波のように感じましたが、それが通常だそうです。
普段でこんなに流れが激しいのだから、異常気象が起きたときとても船は出せないのではないかと思います。
「見ておいて良かった」とみんな口々に言いながらホテルへ戻りました。

~2日目~
■伊方町へ
伊方町総合政策課原子力対策室長 谷村栄樹さんが町長に代わり対応してくださいました。事前に訪問する事と要件をお伝えしていきました。
堀江原告団長が要望書を読み上げ、応援団代表の原田さんが添付資料の解説をし
阿部淳子さん、重広、網野さんも要望を口頭で告げました。
対応してくださった谷村さんが伊方原発に関してどんな見解を持っておられるのかお聞きしたかったのですが、「質問の受付はしません。私からはお話は致しません。要望を承るということでお約束していましたので。」とのことでした。

■八幡浜市へ
総務企画部総務課 危機管理・原子力対策室長 福岡勝明さんが対応してくださいました。
伊方町と同じように堀江さんが要望書を読み上げ、原田さんが資料の解説をし、阿部さん、重広、網野さんが口頭で要望を伝えました。
途中から総務課課長 舛田昭彦さんも加わって要望を聞いてくださいました。そして最後に「必ず市長に伝えます」と回答してくれました。
伊方町も八幡浜市と同様に、要望を承るのみで質問などは出来ませんでした。

◆総括
先述にもあるように広島一万人委員会として、伊方町・八幡浜市に「避難計画の実効性を検証してください」という要望書を提出しに来た時はアポなしの飛び込みで、その場の流れで質問などして、どんな見識で原発避難計画に対応しているのかを知ることが出来たのですが、今回は質問が出来ず拍子抜けしたような気分でした。
しかし、前回の愛媛訪問と大きく違うのは、現地で反対運動をしてきた方と交流ができたことです。それが一番の収穫でした。メールやお手紙で意思疎通出来ることもありますが、実際にお会いするか、しないとでは、全く違います。その人を知ることができます。運動は仲良しグループでやっているのではない、ですが仲間が居ると思えるのは活動への大きな活力になります。馴れ合うのではなく共通の目的に向かって知恵を出し合い、議論を重ね、実行し目的を実現させる仲間が運動には必要です。
とはいえ、人間楽しみがなければ一つのことを続けるのはしんどいです。今回の愛媛訪問は美味しいものを食べたり、交流したり語り合ったり、と楽しむ時は存分に楽しんで参りました。二日間を共にさせて頂いた阿部さんが「こんなこと言ったら不謹慎かもしれないけど、とても楽しかった!」と言ってくださったのが印象的でした。諦めず続けることが大事です。続ける為には楽しみも必要です。(重広)


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